海外うつ病からの治療・回復! 薬を使わない根本からのうつ病完治へ

うつ病が治ったキラからのメッセージ 無事、うつ病の苦難を乗り越え、回復できたキラです。 うつ病は絶対回復できる! 治る! 良くなる!  だから焦らずうつ病の回復に取り組みましょう。

Tag:海外うつ病体験談

うつ病 家族への接し方と子供への影響 うつ病体験談

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うつ病である私が子供に悪影響を与えてしまう不安

私がうつ病だった折、自分のうつ病の苦しさ、つらさ、どうしようもなさだけではなく、家族のことでも苦しみました。
一番の気がかりは、子供への悪影響。
アメリカの精神科医の書いた本を読んでいた時、うつ病の親は、子供に精神発達、社会的な発達に長期的な悪影響を与えてしまうという一節があった。

ただでさえ、子供への悪影響を心配していた時で、こんな俺でいいのだろうか? 子供もうつ病になる下地がこれでできてしまわないか、そうじゃなくても心配をかけて、苦しませてしまうことになることを恐れていた時だった。
金銭的にも、このままうつ病で働けなくなったら、教育も日々の生活すら大変な思いをさせてしまうかもしれない。

私の子供になったばっかりに、苦しませてしまうことだけは避けなくてはいけない責任感がありました。
うつ病の親の子供への悪影響の一節を読んだ時、その恐れが本当に起こりうるという恐怖に支配されてしまい、うつ病がますますひどくなってしまった。
ここで気力を振り絞って子供のために何とかしなくてはいけない気持はあるけれど、動けない自分に愕然としたものです。

うつ病と夫婦関係

また妻に対しても、苛立ちを隠さないようになってしまいました。
妻は妻で、私のうつ病や、子供の適応に悩んでいる状況への対応、自身の心の悩みで大変だった中、どうしてもすれ違いが多くなってしまった。
それでも、妻は必死で私を支えようとしてくれていたと思う。

うつ病の時、関係が強い人に(つまり家族が多い)、苛立ちや怒りが湧いてきて、それをぶつけてしまうらしい。
まさに私が孤立無援な中、そういう感情のはけ口をぶつけることができるのは妻しかいなかった。

そのあとの自責の念は、自己否定感と自殺念慮につながり、ますます自分を追いつめただけだったが。
妻もついに爆発して「もっとしっかりしてよ! あなたが支えなくちゃどうなってしまうのよ!」と言われた。
ずっと胸の奥にしまい込んで、決して漏らさないようにしていたことを、妻は言ったのだろう。

どうしようもない私は、このとき一番「死ぬしかない」と思った。
しかし、死ねなかった。子供はどうなってしまうんだろう、この一点だけが私の命をつなぎ止めていた。
その後、妻もまずいと思ったのか、「一時の感情的な発散にすぎない、本気で思っているわけじゃないのよ」とフォローしてくれたが、溝は開くばっかりだった。

うつ病である自分、夫婦仲の微妙な空気が子供に伝わる心配

夫婦仲がすれ違って、冷たい空気、一種のあきらめの雰囲気が漂っていたことを、子供はどう感じていただろう?
でも、どうすることもできなかった。
子供と接することも億劫になり、子供との精神的つながりも薄れてきたように感じる。

本心は、ここまでお前のことを考えている人間はいないし、だからこそ心を痛めているが、子供はそれを感じてくれているだろうか?
おそらく感じてはいないと思う。
このようにうつ病はすべてのつながりを断ち切ってしまう。

家族、夫婦みんながうつ病になってしまう危険性

妻は私にもはや頼れないことで、彼女自身ノイローゼになっていた。
よく夫婦でうつ病を発症するケースが頻発すると言うが、まさに私たちのケースもそれに当てはまっていた。

私の存在が、そしてうつ病である私が存在する限り、みんな不幸になる。
仕事への心配も大変な心労だったが、家族のこと、これに勝る心配事はないだろう。

そんなとき、うつ病回復に一番効果的だった方法に書かれてあるような克服法を知ることができた。
私がうつ病から回復していくにつれて、妻も(日本に戻ったこともあり)本来の気持の余裕が出てきた。
子供も妻も私をサポートしてくれた。

私はそれを力にして、更に前に進んでいくことができた。
悪循環に陥れば、人はどこまでも悪化し続けるが、何かのきっかけがあれば、よりいい循環になると言うことです。

うつ病は家族中をギクシャクさせる

もし、あのまま解決できないままに時間が進んでいたら、どうなっていただろう? こう考えることがたびたびあります。
最悪な事態になっていたことを想像するのは簡単だ。

私がうつ病にケリをつけることができはじめると共に、子供との交流も増えてきた。
子供も日本に戻り、最初は不安を感じていたが、幸い言い友達にも恵まれて、やっと居場所を見つけたようだった。
うつ病による子供への精神的、社会的発達への悪影響は避けられたと思っている。

妻とは、私のうつ病が解決してから離婚することになった。子供は妻が引き取ることになった。
別れたといっても、妻や子供がうつ病の私を必死でサポートしてくれたことは、よくなった今感謝しても感謝しきれない。

現在は離れて暮らしていることから、わだかまりもなく、子供のよき父と母として、いい関係を築くことができている。
まるで私のうつ病発症以前の関係のようにしっくりいっている。
あのまま二人で一緒にいたら、逆に足引っぱりになっていたかもしれない。

離婚しても私はショックではなかった(それでうつ病になる人も多いという)し、妻も自立心が芽生えて、自分のやりたい道を見つけたようだ。
だから、別れて結果オーライだと思っている。

子供には親の離婚というつらい思いをさせてしまったから、その埋め合わせ、精神的な充足感を味あわせてやりたい。

家族はうつ病で生じる感情的すれ違いに負けないでください

この体験記をうつ病本人だけじゃなく、その家族も読んでくれれば幸いです。
うつ病は家族のサポートが必要です(私の別れた妻も必死でサポートしてくれました)。
でも、時には私たちのようなすれ違いが発生します。
それはうつ病だからこそ起こりうることです。
本心で憎いとか、嫌いだとか、邪魔だからということで人に対して苛立ちや不安をぶつけるわけじゃないのです。
うつ病という特殊な状況だからこそ、生じることに過ぎません。


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うつ病が遂に治った! 鬱病克服に至るまでの体験記

長いですが最後までおつきあい下さい


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最終的に落ち着いたアメリカで一気にうつ病になってしまいました。

原因は私の半生記録でも書いていますが、

  • うつ病になりやすい私の性質と生い立ち
  • 海外での不安な生活
  • 仕事量への負担と抱えきれない重圧
  • 成果を上げなくちゃいけないストレス
  • 子供も海外生活に適応できない問題
  • 一筋縄に行かない交渉相手
  • 文化の違いへの戸惑い
  • 逃げ場がないから抑圧が更にかかる
  • 上司とのすれ違い
  • 責任感が非常に強かったこと
  • 仕事や家庭への将来の不安

うつ病にはまっていく時期

上のことが、すべてが押し寄せてきた。
だるさ、不眠、朝がきつい、やる気が起きない、楽しくない、疲労感の蓄積、マイナス思考が永遠と思えるほど頭の中をぐるぐる回る・・・・・

俺一人だったら、このままうつ病で死んでも構わない。
しかし家族はどうするのか? そして何より子供は?
ここで死ぬわけにはいかない。それが私を『生』へつなぎ止めていた。
家族を持つ働き盛りのうつ病の人に共通の思いだと思う。

妻とはのちに離婚することになるが、子供だけはどうにかして育て上げなくてはいけない。
金銭的に不幸な目に遭わせたくない。
何よりも、元気のない私の姿を見て、悪影響を受けないかが一番心配だった。
やっぱり立派に元気に育って欲しいと思った。

学歴とか立派な肩書きはもういらない。ただスクスクと健康的に悩みとはあんまり無縁な生活を送って欲しい。
しかし、このままでは、息子のためによくないという恐怖と不安に心を痛めていた。

仕事も途中で放り出せば、会社にすごい迷惑がかかる。機会費用の損失もかなりなものになる。
この重圧や未来への不安は凄まじいかった。
何とかしなくてはいけない。が、気力が全く湧かない。
ダメになっている自分をどう奮い立たせても無理だった。

セロトニンかなにか知らないが脳の神経伝達物質が完全に狂っている感じだ。
仕事の能率も判断力も狂いはじめていて、昔の自分からは想像もつかないくらい退化していた。
アメリカの病院で抗うつ薬をもらって、それに頼っていたが、先行きに希望は感じられなかった。
いつか薬に依存する生活に破綻が来るとウスウス感じていたが、ついにそのときが来てしまった。

仕事へのストレスで追いつめられる

私の前任者もうつ病かどうかわからないが、ノイローゼになり薬漬けになり、仕事に支障をきたすようになった(らしい)。
本人やその家族の希望で日本に帰国したと聞いたのは、私がうつ病になってからだった。
あまりに過酷な労働環境。責任とストレスが一人の身に降りかかる。
あこがれの海外生活、海外勤務もこんなものだった。

相談できる人も、頼れる人もいない。結局自分しかいない。そんな自分が頼りない。
家族も環境変化に戸惑っていて、私が相談に乗るぐらいだった。
さすがにのほほんとしている妻も子供が問題を抱えており、また自信のことでも大変そうだった。

会社に相談しようとしても、仕事ができない烙印を押されるのが怖かった。
前任者は、日本でも長期休暇を取り、会社に復帰しては休み、治療し、復帰しては休み、治療しを繰り返し、そのまま退職したそうだ。
うつ病の典型的パターンだ。
今は何をやっているだろうか。
抗うつ薬漬けになると癖になって、社会復帰が出来なくなるという例だけれど、私も最初は薬に頼らざるを得なかった。

アメリカでは薬物療法が一般的だし、それしか選択肢がなかった。
自分なりにものごとへの取り組みや思考を変えようと頑張ったが壁にぶち当たった。
私の脳の中のホルモン異常が薬で治れば良かったが、そうはいかなかった。
アメリカでも日本でもうつ病治療に差はない(あるとすれば心理療法を取り入れているところが欧米に多いこと)

海外うつ病からの回復 岩波先生との出会い うつ病治療の様々な模索と瞑想

家族の無言のプレッシャーを勝手に感じる

妻は次第に私のことをどう思っていたのだろうか。
最初は励ましてくれたり、後押ししてくれたが、それがありがたかったと同時にプレッシャーになってしまった。

まだまだうつ病についてわからない時で、さらに妻自身がノイローゼに近かったから。
自分の身でも精一杯、子供の問題でも精一杯、それでも私のことを支えようとしてくれた。
しかし、「あなたがしっかりしなければ、一家が破滅するわよ、もうちょっとしっかりして」という無言のプレッシャーを感じてしまった。
私も余裕がない心だったから、勝手に妄想を膨らませてしまった。

妻がうつ病から抜け出せない私をいらだっているかもと感じた。
うつ病特有の被害妄想、マイナス思考かもしれないが、つらかった。
妻も昔の大らかさなところがあった部分が消えていき、神経質になっていた。
昔のように夫婦仲もしっくりいかなくなった。
後に離婚することになる。

妻にとっては、私しかいなかったし、子育てをしなくてはいけなかった。
また私に依存していればすべてうまくいくと思いこんでいたから、その期待に応える必要があった。
でも、海外生活でもうそんなことはできない私がいた。

経済的バックボーンを失ったら、妻の子供に託した夢もすべて消え失せる。
彼女なりに必死だったと思う。けれど、私にすべてしわ寄せが来てしまった。
いや、負担を感じてしまう自分のとらえ方にも問題があるのだが。

この時の溝は修復不能だった(今では子供の母親、父親として良好な関係を築いている)
はやく休職したかったけど、私がいなければ大きな穴が空いてしまうプレッシャーもあった。
一度社会との糸が切れたら、どうやった復帰できるのか怖くなった。

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精神科医と抗うつ薬

昔は、自分がいないと仕事が回らない状況を望んでいたのに、すごい皮肉……。
希望した海外生活もこうなるとすべて裏目。
人生を呪った。だけど解決策はなかった。
うつ病は抗うつ薬以外の本格的治療法はないと思っていただけに絶望だった。
(それは狭い考え方だと後に気づくことになった)
強い抗うつ薬だと仕事に支障を来すので、弱い薬に抑えてもらったが、これが結果的に薬からの離脱で有利になったことは否めない。

医者との感情的な行き違いも多々あった。
「もっとこうして欲しい」、「話をもっと聞いて欲しい」、「精神科医もこんなものか」と思いながらも、医者に通い続けた。
もう一つの病院で精神分析をやり始めた。
よくウディ・アレンの映画に出てくるソファーに横たわるように座って、医者と話をするスタイルだ。
抗うつ薬よりも、話をすることで不安が抑えられる効用があった。
しかし、アメリカ人は何であんなに偉そうなんだ? それが文化なんだが。

決して答えが出ないことを永遠と

海外で働いているからって、うらやましがられたり、すごいといわれるけど、実態はどうって事ない。
どこでも生き生き仕事ができて、生活も充実しているなんていう人はほんの一握り。
私や前任者のようにうつ病で潰れる人もたくさんいる。

それ以前の勤務地でもうつ病の前段階になっていたが、 環境を変えると一時期は楽になった。
しかし、それが当たり前になってしまうとすぐうつ病の闇が忍び寄ってくる。
だましだまし仕事をこなしてきた私もついにいかんと思い始めた。
どこかで糸が切れそうな恐怖があった。

どこにも信頼できる相談相手がいない。
愚痴をこぼせる友人もいない。
そもそも愚痴をこぼしたら人生負けだと思っていた。
だけど、 仕事に行きたくない、つまらない。
テレビを見ても、映画を見てもすべて味気ない
以前の私はどこに行ったのかむなしくなった。

あの「栄光の日々」は戻ってくるんだろうか? 昔は本当に良かったか? 楽しいって何だ?と思うようになった。
今までしてきた選択は正しかったのか? 積み重ねてきた時間は正当だったか?

こんなに脆い自分だったのか?
何のために、誰のために生きているのか?
子供のためはもちろんある。
が、自分というものをもっているか? 人生はあったか?
自由に選択してきたと思っていたことが、実は強迫的にそうならざるをえなかったのではないか?

頭の中をものすごくマイナスの思考が駆けめぐり、結果得られたものは重圧だけだった。
どんなに考えても、堂々巡りをするだけで、頭が鈍っていった。
頭が混乱し始めていた。正常な脳みそとはほど遠かった。異常な時期だった。
消えてなくなりたい、すべてを無に帰したい。それが異常事態を終息させる最終の最高の手段だと。

しかし、すべてを投げ出せない私の責任感(自責の念、罪の意識)があった。
仕事、家族、子供・・・・・

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アメリカと日本の精神医学

アメリカ滞在中に、アメリカの名医といわれる精神科医・分析医に会ったが、通ううちに事務的態度(日本と変わらない)で薬を出された。
映画の「17歳のカルテ」というものを見たことがあるが、薬をとにかく簡単に出し、飲ませることは、そのままだった。
世界最先端の精神医学をもつアメリカでさえその始末。

本当の名医はどこかにいるかもしれない。でも会うことはついになかった
心が病んだらもう正常に生きられないではないかと空恐ろしくなった。
病院で催眠誘導もされたことがあるが、かかっているかどうかもわからなかった。

分析に関しては頭の整理ができて、少しは心が楽になった。
しかし、結局最後は薬を出されて終わりだった。
もっと俺に合う薬を出してくれと言ったが、見つかることはなかった。
次第に医者に不信感を持ち始めてしまった。

やはり日本人の医者の方がいいんだろうか?
信頼関係をもっと築ける医者がいい。
日本の精神医学のレベルはどれくらいだろうか?

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森田療法への望み

結局日本人の私にとって日本しかなかった。
アメリカのうつ病事情も悲惨なものだということもわかった(別ページに書いてあります)
インターネットで日本の心理療法の情報を探し求めた。
ただアメリカでこれぐらいなのだから、日本でも同じことになるのでは? 希望を感じられない時期だった。
ふと森田療法についての情報を眼にした。

はじめ「ん? これだ!」と思った。
日本人の心の微妙な「ブレ」がわかるし、その風土から生まれた。
遠い海外の地にいながら、森田療法についてよく調べた。
近いうちに日本に二週間以上戻る機会があったので、森田療法をやっている病院を訪ねてみようと思った。

しかし、淡い希望も打ち砕かれた。
入院が必要だとわかったからだ。これでみんな森田療法をあきらめるらしい。
日本で生まれた私のうつ病を治すことができるのは、日本で生まれた森田療法しかないとまで思っていた。
がっくりだった。
そんな時間はないし、プライドがあったから、精神的な問題で入院なんてたまったものではなかった。
(もし休職することになったら、入院しようと思った)

それなら、薬でだましだまし折り合いをつけて生きた方がいいかもしれない。
だけど、このままではいけないこともわかっていたから、答えが出なかった。

うつ病に瞑想が効果的では?

瞑想にも心を惹かれた。
瞑想で自分の心を見つめ、心を平穏にし、うつ病の落ち込みやいらいらや不安感から脱するために効果的だと思った。
うつ病にはもはや意識の表面で努力をして対策を続けても効果がないと思っていた。
だから瞑想をして、呼吸法をして、変性意識に入り、脳内麻薬を出して、うつ病に効果を与えたかった。

だがこれはあくまで理想論で、瞑想だろうがなんだろうがとにかくうつ病が少しでも和らげばいいというあがきだった
瞑想はうつ病に非常に効果があると聞いていたから、やらない手はないと思った(のちにうつ病に瞑想は逆に危険なんだとわかったが)

アメリカにもあるかもしれないが、やっぱり本場の日本で瞑想を受けるのがいい。
瞑想なら心の平穏を私に与えてくれるという希望があった。

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苦しいうつ病の症状

このままうつ病の症状が悪化したら、精神科に入院せざるを得なくなるんではないかという恐怖もあった。
みなさんもわかると思いますが、抗うつ薬を飲んでも効果がない、さらに気分が悪くなるなんてことになると、その焦りは筆舌に尽くしがたい。
うつ病には禁物の焦燥感が急激に膨らむ。
このまま一生うつ病だったら、家族は、子供はどうなるのだろう。 子供たちだけには自分のことで、しかも精神的問題で迷惑をかけたくなかった。
それに責任と重圧のかかる仕事もあった。
もともと、自分がいるからこそ、仕事がまわっているという状態を理想としていた。
いてもいなくても変わらないという「公務員」にはなりたくなかった。絶対に。
だから海外駐在というのは、私しかできないことの証明だと思いこんでいた。

しかし、うつ病になってしまい、逆に追いつめられた。
何という結末だろう。自嘲気味に笑ってしまったこともあった。
身動きがとれない。焦ってはいけないが焦らざるを得なかった。
焦燥感と絶望、やらなくちゃいけないけれど、やる気が出ない、倦怠感、何も楽しくない、夜ぐっすり眠れない、生きている価値を見いだせない自分、死にたい、死にたい、自殺したい、消えてなくなりたい、眠ったまま死にたい、楽になりたい、安心したい、もうたくさんだ、苦しい、きつい! どうしようもない、ああ、死にたい、どうしよう、無理だ、ダメだ、死にたい、死のう、だけどできない、きつい、苦しい、たまらない! ずっとこんな考えが頭の中を駆けめぐっていった。

いろいろな心理療法と治療法

とりあえず、何か対策をとらなければいけない。
日本に一時的に戻ったら、カウンセリングと瞑想、それに海外だと特に強く認識するのだが、禅寺での修行でおかしい私の心を鍛え直すということを考えていた。
日本だからこそできるものだと期待をかけていたのを覚えている。
しかし、どこにするかが問題だった。
ピンからキリまでカウンセラーや心理セラピストがいる。

瞑想も超越瞑想(TM瞑想)やヴィパッサナー瞑想やマインドフルネス瞑想など色々あり、どれにしようが迷った。
変なのに当たってしまったら、ただ金と時間の無駄だろう。
せっかくの帰国のチャンスだし、なにより滞在時間がないのだ。
しかし、うつ病は私から判断力も決断力も奪い去っていた。
決意ができないことに、私は苛立ち落ち込んだ。
昔なら考えずに飛び込んでいたはずなのに。

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うつ病克服への第一歩! 最強の克服プログラムとの僥倖!

森田療法の本を大量に買い込み、「あるがまま」の実践は、それはそれでしようと考えた。
しかし、だれかうつ病を解決する心強い援軍になってくれる人はいないだろうか?
真剣に探した。瞑想を中心に調べていた。

変性意識、脳内麻薬などで検索してた所、瞑想で得られる変性意識の何千倍もすごいという評判に何度も行き当たった。
いわゆるトランス状態(超変性意識、もしくは超瞑想状態)がとにかくすごいんだという評判だった。
セロトニン、ドーパミンなどをはじめとした神経伝達物質が放たれる感覚もすごいし、瞑想や自律訓練法、催眠療法とは比較にならないほど強力なやり方だという。

私なりに瞑想やあるがままの思想を実行しようとしていたが、どうにもうつ病特有の思考(マイナス思考や雑念、不安)が増し、リラックスどころではなかった。
自力で瞑想などをやってまた効果が出ない時間が続いていくなら、その方法でなんとかしたいと興味を持った。

高い評価と評判、感謝と畏敬の念にいきあたる人の存在、それらを可能ならしめる技とノウハウを持つ人物。
それが岩波さんという先生だった。

天才、鬼才、すごい人物、傑物、超越した実力者、カリスマなどの評判だった。
そんなスゴイ人なら会ってみたい! 先生のサイトに書いてあった「脳覚醒に関する言葉集」「心理脳内プログラムに関する言葉集」「うつ病に関する言葉集」も非常に私の心を刺激してくれた。
私の人生はこれだったからうまくいかなくなったし、こういう思考や考え方をしているから悩みを強化していることがよくわかった。
そして、どうやっていけばいいのか、私の望みにかなっていると感じた。

瞑想を数十年やってきた達人でさえもびっくりするぐらい威力のある技術で一気にうつ病で狂ってしまった脳を変えていった方がいいに決まっている。
瞑想追求者がみな勧めているから、これしかないと決めた。

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心配は、私が日本滞在の間に、会えるかということだった。
クライアントたくさんいるそうだから(実際ものすごい数だった)、それだけが心配の種だった。
アメリカからメールをして、岩波先生のいる事務所の電話番号を教えてもらった。
すんなりと電話で岩波先生とコンタクトをとれたのはラッキーだったが、問題はいつ先生にお会いできるかだった。

アメリカからだということを告げた。
実はアメリカからわざわざかけてくる人なんて私だけだろうと思っていたのだが。
だけど、他の国からも日本人が海外で悩んでしまって、けっこう通ってくる人がいるというから驚きだった。
私は通えるかどうかもわかっていなかったが、とにかく岩波先生に会いたかった。
すぐには通うことができなくても、とりあえず予約だけは取りたかった。
電話でカウンセリング(コーチング)をしてもらってもいい。
まずは日本に戻ったときに一度受けられる。

評判が本物だったら、ずいぶんあちらでの仕事や生活、重圧感も楽になるだろうと思った。
岩波先生の電話での印象は、私の心をわかってくれるのはこの人だと感じた。
そんなことを思わせる専門家にはじめて出会ったし、すごく心が楽になった。ありがたかった。
ずっとアメリカ人の精神科医や精神分析医、心理カウンセラーを相手にしていただけに、話がすんなり通じることがうれしかった。
先生は一本筋が通った印象も受けた。けっこう自分のペースで話をする人でもあった。だけどちゃんと聞くところは聞いてくれた。
海外からの電話だったけれど、かなり話し込んでしまった。

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そのとき、通っている人の心理プログラム(セラピー)をやっていたから、わざわざあとで電話の時間を作ってくれた。
程なくしてかけ直してみた。私の家庭環境や生い立ちを話しているとき、先生が話を止めた。
先生がスカイプを知っているか聞いてきた(いまはスカイプをやっていないようで電話のみです)。
海外生活をやっている者にとって、スカイプは必需品だったからもちろん知っていた。
そちらで話しましょうといわれた。わざわざ気をつかってくれたのが嬉しかった。

日本時間の深夜、先生が仕事が終わってからスカイプで話し合った。
予約も日本に来ている間に入れてくれるという。
時間を深夜までずらしてくれ、その配慮がありがたかった。
人間的温かみのある方だという印象。
実際、パワーがあり、元気な人だ。

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日本に戻れる前に

日本に戻るのを期待と不安を持って待っていた。
私は岩波先生の所でやる呼吸法の初歩をやっていた(ネット上で書いてあった誰でもできるやり方)。
いい具合に手足が痺れていたから、こんな簡単な呼吸でも効果があるのかと思った。
不思議と何にも考えずできていたから、効果が上がったのだが。

同時に先生から言われていた、悩みに陥る家庭環境や仕事や家族についてのルーツをやっていた。
なるほど、どうにもうまくいかなくなっていった理由がわかる気がする。
私の生き方、考え方はうつ病になりやすいとアメリカの医者から指摘されていたとはいえ、改めて自分で分析してみると、よくわかった。
こういうことは、人から指摘されるよりも自分で分析して気づくことが大事だ。
うつ病はあくまで自分自身の問題だから。

そして、日本に戻れる日が来た。
薬は自分で徐々に減らしていった。
医者に減らしたいと言ったが、出された抗うつ薬の量は変わっていなかった。
薬を売って儲けたいだけじゃないか!? 
まあ医者は医者なりの考えがあってのことだが、そんなことまで考えてしまった。
(実際は急激な減薬は危険との判断からだろう)
抗うつ薬を断つことへの心身への負担はかなりあると耳にしていたから、私自身慎重にすすめていった。

海外でも通用するうつ病治療法!

余談だが、外国の人にも岩波先生の心理セラピーや方法論は確実に通用する。
言葉の問題でどうだかわからないが、日本人よりあっている心理療法かもしれない。
海外にもこんな能力の高い心理セラピストはいないに違いない。
海外から通うにもそれだけ他にはない高等で強力な技術があるからだ。

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会社への要求

会社には日本で勤務できるよう届け出を出した(前々から希望は出していた)。
前任者が前任者だっただけに、会社も考慮してくれ、幸運なことに受理された。
ただし、引き継ぎなどあるから、どうしても四ヶ月後ぐらいになるという。

日本に戻れる安堵感で心が幾分軽くなったと同時に、四ヶ月耐えられるか不安になった。
休職はできそうにないし、そんなことをしたら、日本に戻ったときに窓際に追いやられかねない。
プライドの高かった私は、窓際にされたら、ますますうつ病が悪化していたかもしれない。

家族も帰国できることにホッとしていたようだが、子供は子供でまた転校をしなくてはいけないことに抵抗感を示した。
まだ日本での暮らしが短いため、子供にとっては実質的に初めての日本での生活になる。
私たち夫婦にとっては帰国だが、子供にとっては新しい不安を呼び起こすものだった。
とはいっても、家族三人とも孤独や不安でいっぱいだったから、あのままずっとアメリカで暮らすよりは、いい選択だったのは間違いない。

海外から岩波先生のところへ通う!

Dreamart labo 岩波先生の自己正常化プログラムには四回海外から通った。そのためだけに。
しかし、飛行機の旅もぜんぜん苦にならなかった。
日本に戻れる安堵感があったから。成田空港から遠いのは嫌だったが。

アメリカ行きの便では、すごい超瞑想状態というべき体験をして、心もかなり軽くなっていたからだ。
希望を感じながら飛行機に乗ったのは何年ぶりのことだろう?
いつも心がどんよりとしていたことに比べて、確実に気持が楽になっていた。

東京が都合で受けられなかったときは、大阪の事務所にも行った。
大阪ははじめてだったから、近くの大阪城や通天閣にも観光に行った。
ふと気づいた。私も楽しめるんだな、ということを。
アメリカではほとんど観光をしたことがない。そんな気力も余裕もなかったからだ。
大阪観光を終え、京都も行きたい、奈良に行ったことがないから是非行こうと楽しむことを考えていた。

思わぬ、うつ病が少し晴れていることにうれしさと驚きを覚えた。
遠く海外から通った甲斐があったとも思った。
それにすごい遠距離から通うから、必死だった。
一回一回を大事にするために岩波先生から出される宿題をやった。
その気持ちの強さが功を奏した。

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効果的なうつ病治療をはじめる!

うつ病に陥る分析を通い始めてから本格的にしていった。
なぜ自分はうつ病になったのか、会社ではどうだったか、それ以前の学生の時はどうだったか、更に前の親の教育はどんな感じで、それが自分の心にどんな決定的影響を与えたか、どんな考え方をして、ものごとに対処していったのか、歪んでいた思考はなかったか(こうあるべき、こうであらねばならぬという考え、思考の柔軟性の無さなど)、これからはどういう風にしていくべきか、とらえるべきかを、説明してもらった。

聞いているうちに、うつ病になるのが当たり前だったように感じた(実際そうなのだから、うつ病になったわけだ)。
これが俺の人生だったのか! 落ち込みもしたし、なにか怖いものを直視しなくてはいけない不安な気分になったりもした。
二日ほどは気分が悪かった(先生からは自分の心とよく相談して効いて欲しいと言われていた)
気分がなぜかふさぎ、ため息ばっかりしていた。

でも、自分の人生から逃げることはしちゃダメだ、立ち向かっていこうと。
岩波先生がついているから大丈夫だ。

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呼吸法をしていても過去のことを思い出されてしまって、とても感情的にもなっていった。
人生を振り返るととても感傷的になってくる。それがどんどん増していった。
そのうちに心の中に巣くう霞のようなものが晴れていった。
ちょっとだけホッとした感じがあった。

思考力が低下していた脳みそが、正常に動き始めた感じもした。
感情的になっていた時に、何か一緒に洗い流してくれたのだと思う(トランス状態=超瞑想状態でも同じ経験をしていた。抑圧が外れていったのだろう)
思考力が低下していたのは、うつ病特有の症状なのか、薬の副作用かわからないが、ぼやけていた頭がすっきりしてきた。
とにかくルーツ分析のCDを聞いて、間違った認知を改めたり、意を強くしたり、ストレスの対処法を先生に聞いたり、ときには落ち込んだりしながら、続けていった。
時々頭痛や胃が痛くなることもあったが、それも消失していった。

うつ病が治った経緯 回復へ向かって

岩波先生の暗示も脳にこびりつくような感じに、そしてスーッと脳の奥に入り込む感じになっていった。
暗示が入ってくれるトランス状態の効果か、「そうなのかな」という感じが「こうなんだ!」と思えるようになった。
トラウマ処理も進めていったし、自分の考え方の狭さを指摘してもらったり、岩波先生の考え方を聞いて、「なるほど!」と納得したり、暗示をかけてもらったり、有意義な時間だった。

呼吸の訓練もした。自己暗示を入れたり、トラウマ処理をするために必要なことだ。
いい暗示が脳に入るには呼吸が不可欠で、みな呼吸の訓練をした。
呼吸といっても、特殊な呼吸でもなく、誰でもできる簡単なものからやった。
呼吸をすると、意識がすごく落ち着いてくることがわかった。

それからは頑張れるようになったが、呼吸をすること自体結構苦労した。
マイナス思考がぐるぐる頭を回るときもあったから。
マイナスが蓄積していて、考えてしまう脳みそではしょうがないが。

海外うつ病からの回復 岩波先生との出会い うつ病治療の様々な模索と瞑想

でも、積み重ねていくと、自意識が減っていったのがわかった(無理に自意識を減らすことはできないから、バカになって呼吸をすること)。
私には初めての経験で、驚きと刺激に満ちた体験だった。

体の固さも指摘された。
これじゃ、悩んで当然とまでいわれた。
肩こりがもう当たり前になって、肩こりと感じないくらいの堅さらしい。
心の緊張や葛藤は、体にすぐ反応が出やすい。

新しい呼吸法も教えてもらったが、最初苦しかったものの、次第に体がなれていき、強烈な感覚を味わえるようになった。
先生誘導じゃなく、私の呼吸法でそうなったこともうれしかった。
思わず飛行機の中でしてしまったほど感動した。
強烈なリラックス感を伴い、全身を包み込んでくれた。
いわゆる脳内麻薬がたくさん出た状態だった。
瞑想を調べていた時、脳内麻薬を出すことが、うつ病の脳みそに効果が非常にあると聞いていたから、こんなに脳内麻薬に浸れるなんて感動以外の何ものでもない。

それから、ますます岩波先生の呼吸法(トランス呼吸法)が癖になっていった。
憂鬱な時でも、それをすることで、頭をリセットさせ、気持を切り替えることができた。
そのこともとってもうれしかった!

海外うつ病からの回復 岩波先生との出会い うつ病治療の様々な模索と瞑想

不眠症解消法

そういえば、不眠症に苦しんでいたから、岩波先生によく眠る方法を教えてもらった。
うつ病と不眠症は親戚みたいなものだから、不眠症を解決すると、鬱病の回復も早まるという。
うつ病が回復すると不眠症も解決していく、よく眠れるようになるし、非常に密接な関係だ。

なんと岩波先生はどこであろうと、たった一分で眠ることができる。実際見たことがあるがすごかった!
よく眠る訓練は、けっこう訓練を要する。だけど、積み重ねていけば誰でもできるようになる。

眠ることへの放棄がまず第一。
体が固い、緊張しているから眠れないから、徐々に眠るときの体の柔らかさ、眠りに陥るあの感覚をイメージトレーニングする。
それを眠るときにうまくイメージできればいいわけだが、これは徐々にやっていった方がいい。
あとは神経を足先に向けること。
頭に向けているから、考えすぎて眠れなくなるわけだから。
目を開けてそれをするのではなく、目を閉じること。
そして、眠ることを辞めて、ただ身を任せること。
重力に身を任せる感じで、眠らなくてもいいから、ただその状態でいること。
決して寝ようと考えてはいけない。寝なくてもいい、この状態のまま朝まで過ごすだけだと。
あとは、寝る瞬間のイメージができれば、寝やすくなる。

これは知恵で思い出そうとしてはダメで、あくまで感覚として五感で眠気のイメージを引き寄せて、その中に浸る。
そうすると、いつの間にかすーっと眠りに入っている私がいた。
最初は苦労したが、最近はだいぶうまくなってきた。

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無意識からのうつ病問題解決

岩波先生の超瞑想状態(トランス状態、意識の強烈な変容状態)についても言っておきたい。
この意識が変容している状態で、暗示を入れ込むとすごい脳にこびりつく実感があるし、一気に疲労感もとれる。
呼吸でその深さを自分で深めることができるとわかってから、熱心に呼吸をやるようになってから、どんどん体験の深さが強烈になっていった。
いわゆう催眠状態というものが浅い状態なら、これはすごい深い状態で、岩波先生に誘導してもらう。

ただ他の人では決して誘導できない超高等テクニック。
徐々に入る方法と、一気に入れさせてもらう方法があるが、これはその人の悩みの状態によって変えていくらしい。
私は海外から通っていたときもあったから、一気に入れてもらう方法でやってもらったが、すごい感覚の世界であった。
体験記のホームページで誰もが絶賛しているが、読んでいる時想像は決してつかないが、受けてみるととにかく、とことんすごいのだ。

うつ病がよくなっていく! 遂に治った!

落ち込み、だるさ、絶望感だけは自分の力ではどうしようもなかった。
とにかくどうにしかしたい一心だった。
しかし心理と脳内プログラムを受けていくうちに、あれだけどうしようもなかったうつ病の症状が晴れていった。
原因不明だと思っていたものが、白日の下にさらされ、無意識でたまっていたものが意識の上に出てきたことで、すごい楽になった。

無意識の問題が意識上に出ると、自動的にトラウマ処理が始まるらしい。
それは問題を認識することで、脳が納得するからだという。
悩みを納得すると、人は悩みを受け入れたと同じ構造になり、悩みへの執着が外れて、心に余裕が出てくるのだ。

鬱病克服のセラピーを受けた後、翌日、目が覚めたとき、すがすがしい気分だったときのうれしさといったらなかった。
最初は、たまり続けてきた抑圧に触れてしまったことで、翌朝の目覚めが最悪だったが、心が解放されていくとホッとできるようになった。

心の闇や暗部、うつ病の原因をのぞくことは、うつ病を治す第一歩だと思う(ただ一人ではやっては駄目、危険!)。
もし薬を使い続けていたら、原因そのものを心の底でのぞくことは不可能だったんだと思う。
それは見ないように、見ないようにして、日々をしのいでいこうという対症治療だから。

私が薬だけによる治療法にちょっと疑問があるのは、副作用の怖さや安易な薬物使用と同時に、治るものも治らなくしている恐れがあるから。
医者を擁護すると、患者が落ち込みで「きついです、ヘルプ・ミー!」と来たら、とりあえず薬を出さざるを得ないのかもしれない。
本当にうつ病になる原因が神経伝達ホルモンの異常だけでなっているなら、それこそ薬が必要になるだろうが。
使いどころをしっかりとしないといけないのが抗うつ薬だと思う。

だから欧米では心理療法をすすめる病院が増えてきているという。
日本はまだまだそこまでいっていない。

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認知の歪みとものごとへの考え方が変わる!

そんなこんなで、紆余曲折を経ながら、私のたまった抑圧も晴れていった。
無意識、心の奥底にたまった抑圧が消えていく。
それと同時に、漠然とした不安感や落ち込みもなくなっていき、精神にハリが出てきた。

心のハリも長らく経験していなくて、忘れていたものだったが、それこそが生きてよかったという実感だった。
焦らず生きよう。でも、結果的に成功するんだと、いい具合に頑張りとくつろぎが同居できるようになった。
うつ病は焦りが禁物だから、落ち着いてゆっくり休むことも重要だ。療養は必要だし、ストレス要因がひどい時、そこから身を別の場所に移すことは必要なこと。

だけど、一生休んだら、それこそ社会生活に完全復帰はできない。
肩の力が抜けているんだけど、頑張れる状態という柔軟性が身に付いてきたように思う。

自然とやる気がどんどん出てくるように!

うつ病とは反対のモチベーションも出てくるようになった。
「燃えてやってやるぞ!」という意欲が、かつてのハイな状態とは別の形で出てきたのは嬉しかった。

ただし、モチベーションが湧いて気分がよい時を維持しようとすると、すぐ消えてしまった。
シャボン玉を掴む感じだった。
これも日々の積み重ねで、だんだん強固になっていった。
気分の波も朝最悪で夕方マシになると言うサイクルもなくなっていった。
感情に振り回されることへの強さが出てきたんだろう。
慌てなくなったというか焦らなくなったというか、とにかく柔軟性があるタフさを身につけていったのだと思う。

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ストレス対処法と岩波先生のこと

また、仕事面や人間関係でのストレスへの対処法も先生は教えてくれたし、人間の攻略法(会話の格闘術というらしい)も習った。
通ったあとはすごく心が晴れ晴れとした。翌日は目覚めがよかった。
もっとサイクルを短くすれば完璧だっただろう。

こんなに空気がおいしく吸えるのが久しぶりだった。
自分でも気づかないくらいに体が固まっていたと書いたけれど、体がゆるんでみてはじめて、いかにカチコチに固まっていたか理解できた。
泥沼にはまっているのが日常だと、なかなか気づかない。
なんでも体が悩みやストレスで固くなると、その固さによってよけいうつ病を悪化させてしまう。
体にのびと余裕がないから、心にも余裕ができなくなる。

岩波先生は首や肩の体の固さ一つで、簡単にその人の生い立ちや日常生活までわかると言うから驚きだ。
もっと言うと、挨拶一つでそれまでの一ヶ月間の生活がわかるそうで、そこまでいったら人間心理の達人の中の達人だ。
そんなすごい人が世の中に実際にいるんだとわかっただけでも、うつ病の克服セラピーを受けた甲斐があったと思う。
アメリカにもドイツにも絶対いないと思う。

人間的魅力に富んでいたし、自分と独自のセラピー理論を確立していた。
私が歩んできた人生にもし早い段階で先生のようなキャラクターが存在したら、180度人生観が変わったし、うつ病になることはなかったし、何かすごい成果を上げられる予感までする。

今更言っても詮無いことなので、今を生きるしかないのだけど。
人は弱いもので、自分がやばい状況にいるかということを知ることが怖い。
現実を見ないようにしていると、つまり守りと逃げの姿勢は身を滅ぼすと言うことを学んだ。

あとは硬直化した柔軟性のない思考は、何が問題があった時に、心がぽっきり折れやすいということも。
うつ病で犠牲にしたことも多いのだから、うつ病を通して学んだことを増やさなければならない。
ただの悩み損だけにはしたくない。いい経験だったと振り返られるように必ずするつもりだ。

日本にいて思うこと

確実に海外からでも受ける価値が岩波先生のプログラムにはあった。
海外での生活で病んでしまう日本人は多いし、私もその一人だが、みんな通えるかというと難しいと思う。
かといって先生が海外に進出したら、日本の人が通うことは難しくなるだろうし、受ける機会も半減するだろう。
日本語が話せた自分でよかったってところかな。
日本にいる人は幸せだと思う。

地方の人も同じ日本だし、東京や大阪近辺に住んでいる人はもっと幸せだ。
岩波先生はスケールが大きくて、南の島で合宿をやっていたらしいが、日本だけにとどまる人ではないことは確かだ。
アメリカ人なら絶対受けると思う。
機会があったら、英語バージョンのサイトを作りたい。
先生が言うにはアメリカ人の方が日本人よりも単純だから、深いトランス状態に入りやすいという。

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うつ病を治すには

うつ病に対する治療方法に対しての認識が広く柔軟になれば、もっとうつ病の人は楽になると思います。
「こうあらねばならぬ」考えの人がうつ病になるといいますが、治療法についてもそういえます。
もっと柔軟にいろいろと探してみる価値があると思います。
その上でご自分が一番いいと思える方法を見つけ、柔軟に自分の心をコントロールしていってください。

海外在住者向け岩波先生心理・脳内プログラムの受け方

岩波先生の評判の高さは海外でも知られています。
海を越えてはるばるやってくる人も後を絶たないと言います。
私もそうだったから、さもありなん、です。
海外在住日本人の人で、先生のプログラムを受けたい人は、まずメールをして、その後先生と直接の電話コンタクトをとります。
最近は電話代も格段に安くなりましたね。

日本滞在中(東京か大阪です)、3日連続、2日連続で受けられると思います。
これは先生とこちらのタイミングが合えばですが。
通うまでの間はしっかりとストレッチをして呼吸法をしてください。
また岩波先生の言葉・講演集というものがあるので、そちらを読んで意を新にしたり、モチベーションを上げたりしてください。
また日本に帰国できた時に、2,3回連続という形になると思います。

一気に日本滞在中に短期間で10回という形はできません。
それにある程度、間隔を開けた方がいいそうです。
(連続的にやったほうがいい時もありますが、最初は家での訓練も必要でしょう)
先生も海外から来る人には、スケジュールを調整をある程度してくれます。
それでも多忙な人なので、すべて思い通りになるかわかりませんが。

ホテルに関しては、西新宿、大阪ともに、近くにビジネスホテルがたくさんあるので、事前のインターネット予約すると安くていいです。
大阪だと5千円以内で泊まれました。
西新宿事務所の近くにワシントンホテル、京王プレッソインがありますが、他にもいくらでもホテルがあるので、安いところを探したらいいですよ。
もちろん、通う前にちゃんと家での課題をやっていった方がいいです。
やるとやらないのとでは、大違いですから!

持っていく荷物は特にありません。手ぶらで大丈夫です。
雰囲気は岩波先生の人柄から、とてもアットホームで笑いが絶えません。
先生と接するだけでも、元気がもらえます。
自己を確立している人ですので、悩まない人とはこういう人なんだ、と肌で実感できます。

海外うつ病からの回復 岩波先生との出会い うつ病治療の様々な模索と瞑想

最後に

よかった。ほんとうによかった。あんな思いは二度としたくない。
苦しかった日々をこうやって振り返ると、自分はすごくラッキーだったです。
それは私に合った常識を越えている克服方法に出会えたことと、うつ病がよくなったことが、いかに僥倖だったか噛みしめています。

根本から克服していくには、潜在意識、脳科学的に言ったら、脳の原始部分を表層に出して処理していくしかないと思います。
うつ病の原因は、様々な出来事を経て潜在意識や脳の奥深くに救ってしまったものがほとんどです。
そこの処理、例えば抑圧の処理、暗示の入れ込み、考え方受け取り方の変化、リラックス感を味わうこと、うつ病のルーツ整理などをやっていくことで私は克服に向かいました(山あり谷あり、それでも確実に良くなっていきました)
うつ病は「きっといつか」ではなく、必ず治るものです。

うつ病が遂に治った! 海外鬱病からの回復

うつ病になっていく生い立ちと環境

 

後年うつ病になる私、その父と母

1970年代に関東にて産まれる。
教育及び躾けの厳しい家に育つ。

父もトップの大学に出ていたし、大きな会社の重役だというプライドも強く持っていた。
母は国語の教員で、曲がったことが嫌いだった。
兄弟姉妹は私を入れて四人で、祖父祖母もいたから、合計8人の大家族。
家は広かったため、大きくなったら個室を割り当てられたが、小さい頃は弟と一緒に住んでいた。

その部屋では小さいながらも、弟の面倒を見なくてはならず、面倒見が良くなってしまった。
ひしひしと「兄」としての役割を親からプレッシャーとして感じていたと思います。

後年、「頼られる(頼られやすい)」「能力以上に負担を抱えすぎる」のはこのころだった。
頼られたら断ることができない、きちんと与えられた仕事をこなしてしまう性格はこのころからありました。

子供だったから、もっと楽しみたい気持もあったが、母から弟のおもりをきつく言われていたので、なかなか遊べなかった。
羽目を外すこともあったけれど、親に抑えつけられて、時には殴られたり、はたかれたりした。

親に逆らえなかった。
いつも親の目を気にして生きるようにもなるのは自然だった。

そのうち習い事も山のようにするようになった。
水泳、公文式、英会話、書道、ボーイスカウトなど。
自由にのびのびと遊びたいのを抑え続けていたと思う。

遊びたい感情を制限して育つ

楽しく放課後遊ぶ友達がうらやましかった。
自分も遊びたい気持ちを必死で押し殺して、習い事に通った。

いつも楽しむこと、やりたいことを制限して生きてきた。
それが自己鍛錬になると教えられてきたし、そうだと自分でも思っていた。
どうやら思う存分に楽しむことに罪悪感を感じていたと思う。
両親の教育の影響が強かったのだろう。

長男の兄貴もかなり厳しく子供心を抑えつけられてきた。
後年、兄貴は私ほどではないが、抑うつ状態に苦しんでいた。
幼児期・小学生・中学生の頃の環境は非常にうつ病にとって大きいと思います。
みなさんのうつ病のルーツはどんなでしたか?
分析して整理すると見えてくるものが必ずあります。
私の分析を参考にしてください。

感情的に不安定で躁鬱気質な家族

家族自体、躁うつ気質で、落差がジェットコースターのようだった。
父も当然ふさぎ込むことがあったし、母もかなり感情の起伏が激しかった。
そんな不安定な心の家族だった。

そのくせ、社会的に立派に生きること、落伍者は許さない雰囲気だったから、家名を汚す(大げさな表現ではなかった)ことはないように、気をつけていた。
そんな家へのプライドは私も持っていたと思う(すりこまれた?)

遊びを知らないつまらない人間だったと思うし、友達からもちょっとつきあいにくいと思われていた。
(今では反動で楽しむことを優先にしている。それで仕事もはかどるし、人間関係も良くなるんだからなんだかなぁ、と思う今日この頃だ)

ただし、過去のことを受け入れて、後悔はしないようにしている。
ああやっておけばよかった、こうしておけばよかった、あんな育て方をされなくてもよかったのに、などは、うつ病に陥らせる原因でもある。
分析してなおかつ、受け入れる、もしくは関係ないぐらいまで割り切る。
そうやれた方が良かったと思う。

うつ病に通じる完璧主義とスパルタ教育

自分で言うのも何だが、負けん気が強くて頑張ることができる子供だった。
常に自分にハードルを設定して生きてきた。

予習、復習はちゃんとやった。(やらないと父に怒られるし、テストの結果に響くから。また日課になるとやらない方が気持ち悪い)。
母も私たち兄弟に、教員らしく、わからないところをちゃんと教えてくれた。
時には厳しくスパルタ式を課された。だけど、成績はそのおかげでよかった。

いったい母に教えられた学生はどういう気持ちで母のことを考えていたのだろうか。
ちゃんと私のことを考えてくれていると両親について感じていたが、一方で足かせにもなっていることにまだ自覚していたわけではない。

教育に熱心な家の事情で、テスト成績はがいつも兄弟みんなトップクラスということにつながったが、遊びや楽しむことを奪ったことでもある。
楽しみたい素直な感情の犠牲でのトップではあんまり意味がないと今では思う。
ただし、それで成績が出ない方がますます悲惨だと思うが。

兄弟間の比較と落ちこぼれるわけにいかない危機感

兄弟がみなそれなりに優秀だったのも、すごいプレッシャーだった。
自分一人だけ落ちこぼれるわけにはいかないからだ。
それはそのまま私の兄や弟にも言えること。
脱落は許されない、ドロップアウトは殺人にも近い罪なことだと感じていた。
なんて余裕のない人生だったのだろう。
いつか限界が来るのもわかる。

うつ病原因 大事な豊かな感情を制限されて生きてきた

何かを犠牲にして手に入れた成果でも、それが絶対的真実だと親に思いこまされていた。
しかも一番肝心な「生きる実感と楽しさ」というものを無視され、抑えつけられていたから、後年うつ病に陥る下地はこのころ熟成されていたんだろう。

いまうつ病が重くない人は、過去の生い立ちを振り返ってみるといいかもしれない。
楽しむことを知らないで生きていたら、これから存分に楽しむことを目標して生きた方がいいと思う。

鉢で育てられる植物に肥料が必要なように、いろいろと制限されて育ってきた人(鉢植えの植物と同じだ)には、「楽しさ」という心の肥料が必要だ。

うつ病原因 意固地で柔軟な思考ができない子供だった

頑張りやに育てられたが、融通が利かない子供にもなった。
よく生真面目といわれた。
考え方に柔らかさがなく、意固地だった。

問題が起きたときの対処方法を柔軟に対応できず、問題そのものよりも大きな心理的重圧を背負い込んだ。
まわりにちゃらんぽらんがいると、不思議に思った。
あんな生き方で大人になってから、絶対不幸になると軽蔑していた。

自分の生き方、親の教育が後年大きな成果を上げるんだと思っていた(自分をそれで慰めていた)。
両親とも、こうあらねばならぬ、こうでなくはてならぬ、考えを持っていたから、私も輪をかけてそれが強くなってしまった。

だから、ストレスが多くなって対処不可能な袋小路にはまると、うつ病になるしかなかったんだろう。

ちゃらんぽらんに生きていた人のことを、内心うらやましがっていたと思う。
ああ生きることができたらと無意識で感じていたに違いない。

しかし余裕のない生き方をしていると、違う生き方の人間を許せなくなる。

常に立派に生きなければならない強迫観念と挫折への弱さ

学校では、ずっとクラスの学級委員をやっていたし、担任の受けが良かった。
生徒会長にも立候補した(落選してショックを受けた。挫折感は相当だった)

しかし、「もっと楽しむことを覚えるといい」と担任に評価されていたのを読んで、ショックを受けた。
今までの生き方を否定されたような気持ちだった。

窮屈ながらも、それなりに充実感はあったし、劣等感を感じていなかった(もしくは劣等感を見ないようにしていた)。
頑張ってきたのも、必死で劣等感を持たないように、それだけのためだったのかもしれない。
私の生き方のむなしさをどこかで感じて生きていたのだろう、無意識は騙せないのだから。

うつ病原因 余裕がない、いつもギリギリの緊張状態で生きてきた

余裕があるべきはずの人生なのに、自分で(親の教育も含めて)勝手に綱渡りの人生に変えてしまっていた。

だから、うつ病になりやすかったのだ。
うつ病は、ある程度は強いところがあるから、けっこう優秀な人がなってしまうが、糸が切れたものすごく脆くなると思う。

案外、余裕のない生き方をせざるを得なかったからだと思う。
こうやって書いていくと、改めて、何かストレスが降りかかったら、うつ病になって然るべきだとつくづく思う。
(この作業がうつ病回復の第一歩として重要なのだ)

綱渡り、崖っぷちの人生でも、調子がのっている躁状態(ハイ)だったなら、問題なかった。
しかし、うつ病に振り子が振られたときは、途端に逃げ場もなくなる。

なんとか学生時代はしのげていたというべきだろう。
目標に向かって猛烈に頑張る自分を気に入っていたこともある。

将来、立派になって、仕事でも大きなことを成し遂げてやるという夢があった。

経済的余裕と精神的崖っぷち

余裕の無さが私の人生(親の人生も)の最重要キーワードだ。
上に「綱渡り」「崖っぷち」と書いたけれど、他人から見れば、全然経済的にも状況的にも余裕があっただろう。

しかし、私や親の生き方や考え方が心理的に綱渡りを強いてしまった。
人生そんなにうまくいくものじゃない。失敗や挫折が数多く待ちかまえている。
障害がない人間なんていない。必ず問題に直面してしまう。
(今はうまくいくものじゃないということをしっかり受け止めているから、あわてないし、落ち込まないし、状況に余裕を持って対応でいるようになったかな)

そんな当たり前に起こりうる逆境やストレスにさらされたときに、小さい頃からの余裕の無さで潰れてしまった。
それ以外の生き方を知らなかった悲劇だった。
思考が硬直すると、心がぽっきりと折れてしまうのだ

うつ病になった原因をルーツ分析 生い立ちや環境要因

 

学生時代

頑張る果てに軋みの音を立てる我が心

猛烈に勉強して、高校や大学でも成績は優秀だった。
勉強は苦ではなかった。

ただ気分の波はこのころから確かにあった。
当時は気合いで乗り越えられていたし、調子がいい時は何も考えずに済んだから。

兄弟がみんな頑張るから、頑張らざるを得ない。絶対負けない気持でいた。
でも、ふと疲れている自分に気づくことがあった。
そんなに引きずらずにすんだから、気に病むことはなかったが。
いわば、うつ病の兆候だったと思う。

キャリア志向、海外思考の前向きな人生だったが

海外志向が強く、アメリカやヨーロッパの第一線で己の能力を発揮して仕事がしたかった。
気分に浮き沈みがあったけれど、全体的にいい学生生活を送れたと思う。
それ単体という意味では。

だけど、後のうつ病の時代との関連性を考えると、もっとうまく柔軟に生きることができたはず。

何でもできそうな気分になっていたとき、自分の生き方が悪いなんて思いもしない。
だから、自分の生き方への反省が足りなかったのだろう。
この先、その私のままでやりつづけたら、限界が早く来ることを。

親からの教育でうつ病になることしかできない性格に

考え方に柔軟性がなかったからしょうがないかもしれない。
学生時代は親の援助で生活しているのだから、親に逆らうと生きていけない恐怖感があった。
精神的に逆らえないし、経済的にも支配されていたからどうしようもない。

もし私がもっと冒険したり、親の精神的支配下から離れることができれば、仕事以外に趣味を広げることができたし、親の目を気にして生きることもなかったはずだ。
だから、本当に生い立ちというものは恐ろしい。

CPU稼働率100%状態

クラスの学級委員をやったり、みなから頼れる存在だったが、オーバースペック気味だっただろう。
高性能CPUを無理矢理乗せたにもかかわらず、冷却ファンの性能が不十分だった。

俺は俺だという気持ちがあったが、後年、人からの評価や悪口がすごく怖くなってしまったのを考えると大きな違いだった。
うつ病はあらゆることをマイナス思考にとらえてしまう。

マイナス思考がもっと大きな病的な考え(自殺願望や極度のうつ状態)を運んできてきつかったが、当時はまだ私の心はもっていた。
経年劣化の金属疲労が始まっていたのかもしれないが。

何でも背負い込み、身動きがとれないときもたびたびあった。
なんでも能力以上のものを抱えすぎるのは悪い癖だった。
学生時代はなあなあにできたが(でも気分が悪かった、完璧にやりたかったから)、社会人になってから責任ある仕事を任せられるようになったら、そうはいかない。

うつ病原因 愚直で真面目で曲がったことができないから心が歪んでいく

性格上、人から頼られると頑張ってしまう、それがますます人から頼られ(もしくは要領よく利用され)、ますますがんじがらめだった。
そうだ、私には要領の良さが足りなかった。

世の中でのし上がっていく奴はみんな要領が良くしたたかだ、
したたかさなんて私も兄弟も持っていない。
みな愚直でまっすぐな人間ばっかりだ。
父も母も要領なんかないし、したたかじゃない。

さて、就職活動は前々から完璧に準備して挑んだと思う。
目標は海外で仕事ができる会社だ。
英語や第二外国語のドイツ語の勉強を一生懸命した。

家族に顔向けができる仕事にぜひとも就きたかった。

うつ病になった原因をルーツ分析 生い立ちや環境要因

就職して

うつ病原因 会社の仕事を限度を超えて頑張る

そして希望の会社に入れ、望みの海外生活へ。
ちょうど面接の時には、強い意気込みがあった。
それを面接官や上司に評価されたと思う。
やる気と自信が面接の時の一番重要視される要素だ。

誰も私の心の奥に潜んでいるもろさなんて気づきもしなかった。
気づかれていたら、逆に幸せだったかもしれない。

上司からも信用され、厄介な、言葉を変えればやり甲斐のある仕事を任された。
私が強い人間だと装わなければ、あんなに仕事とストレスと責任を抱え込むことはなかっただろうに。

日本で仕事をしていたときは、残業も最初はやる気を持ってやっていた。
頑張りすぎて、周りと不協和音が出ることもあった。

職場では人間関係も保たなくてはいけないし、仕事だけでいいわけではないが、はやく出世して海外で仕事をすることがあったから気に留めなかった。
仕事ができない奴は落ちこぼれればいい、勝手に言っていろと思っていたから。

うつ病で休職する人が多い職場だったが気にもとめなかった私

上司にも認められて、前々から希望を出していた海外勤務も現実味を帯びてきた。
(表向き)とても充実した社会人ライフだった。

働いていた職場はかなり過酷で、うつ病など心を病んだりノイローゼになって休職や辞める人間も多かった。
まさか後年私がうつ病になるとは思いもかけなかった。

弱いからノイローゼ(うつ病を含む)になると思っていた。
だから、世間のうつ病に対する偏見を私はよく理解できる。そう感じていたのだから。
自分のことをやるだけだと思っていたから、会社のうつ病休職退職者について深く考えることはなかったけれど。

うつ病は弱いからなるのではなくて、精神的に中途半端に強いからなるのが正解だと思います。
もっと正確に言うと、強弱の尺度ではなく「もろい」からなる。

戦車の装甲にしても、ヤスリで簡単に削れる柔らかい鉄を使っている方が、防御力が強いそうです。
ヤスリでは決して削れない硬い鉄の方が、ある程度衝撃を受けたときに一気に崩壊する。
うつ病はそんな人がなるんだと思う。

うつ病は怠け者がなるのではなく怠けられない人間がある精神疾患

私もぽっきりと心が折れました。
柔軟性があればうつ病にならず、ひどい場合でもストレス性障害、気分変調障害、適応障害と言ったレベルだっただろう。

思い返すと、職場で休職したり辞める人は、そんな人間ばっかりだったかな。
私も誰よりもそんな人間だったわけだが。

しかし、残酷なことに会社は、そういう頑張れる人間を好む。
そして酷使して、使い物にならないとわかると、厄介に思う。
資本主義もいきすぎるとうつ病を増産するだけだと思う。

自分の気持ちに素直になっていればうつ病になっていなかったが後の祭り

私の職場は、初期の頃からカウンセリングルームがあったけれど、そこに相談すると、弱い人間とレッテルを貼られそうで見向きもしなかった。
秘密厳守と言うけれど、会社に筒抜けかもしれないという不信もあった。

今思うと、己を弱い人間だと知っている人間こそ強いのかもしれない。
会社に知られたら(秘密厳守で外に漏れることはないというが、心配だった)、出世は遅れるし、海外に行けなくなる。

徐々にストレスがたまっていった時点で、相談していれば、未然に防げたかもしれない。
だけど、どちらにしても当時の私にはカウンセリングを受けることはなかったと思う。
ストレスも不満も我慢して抑圧することで切り抜けていたから。

それしか脳みそが働かなかったとも言える。
なんて柔軟性のない脳みそになってしまっていたのだろう?
それもこれも私の生い立ちが原因だ。

そんなこんなで海外勤務が決まった。達成感があった。認められた感じがしたし、嬉しかった。
それ以前に、平均より早い年で交際してた女性を結婚した。
仕事での負担増と家庭と子供、そして海外生活の環境変化と孤独と責任倍増で、私の心は悲鳴を上げるのはそう遠くはなかった。
徐々にうつ病が忍び寄ってきたのであるが、出世に結婚と充実していたように思えていたから、人生一寸先は闇である。

うつ病になった原因をルーツ分析 生い立ちや環境要因

家庭を持って/子供の将来を考えて

子供が生まれてプレッシャーを感じる

妻をめとって、すぐ子供が生まれた。
第一子誕生に身も引き締まった。

立派に育てよう。父のようにはならないぞと誓った。
勉強はさせるがもうちょっと柔軟にいきたいと思っていた。

しかし、 うつ病にはまっていたときは、子供の存在に一番心苦しんだ。
この子をいい方向に導かなければいけない。
果たして私で大丈夫だろうか?
マイナス思考に陥ると、どんなことでも負担に感じてしまう。

父は威厳を持って、それを崩すことなく、私たち兄弟を育て上げた。
果たして、私は子供に対して、威厳を示せるのか、手本となれるのか?
私自身、親とは感情的な触れ合いをせずに育ったから困惑した。

感情をあまり出さずに育ったから、子供への接し方には戸惑った。
兄弟みんな子供への接し方は下手だと思う。
硬い硬い一家ばかりだ。

家族、子育て、仕事、余裕のない私は切羽詰まる

家庭を持って子供が生まれた責任感に身も引き締まるとともに、苦しさを覚えはじめた。
妻のことは好きだったし、子供も本当にかわいい。

昔の私なら将来の不安を考えずに生きていたが、我が家庭のこととなると、突っ走っていくわけにもいかない。
このことについて考える時間が長くなった。

思えば、責任感が強かったから、仕事、結婚生活、子育て、そして海外生活を同時に送ることはいくら何でも無謀だったと思う。
思考が硬直していた私だけに、受け流すこともできず、要領よく仕事することもできず、真っ正面から難題を受け止めようとした。

父のようにはなりたくなかったけれど、方法がわからない。
誰もお手本がいない。

間違った方向にだけは、子供は育てたくない決意をしている自分に気づいたが、それは全く父母も同じことを考えていたに違いない。
融通の利かない彼らなりの方法で子育てをしたのだろう。

母は教師だというのにのびのびと子育てができなかった(教師だからこそできなかった!)
彼らなりに不安で必死だったんだと思う。
家庭を持ってはじめて父母の不安を身に染みることができた。

うつ病原因 失敗してはいけないプレッシャーとストレス

うつ病で潰れかけたときは、子供の将来を考えるのが一番つらい!
子育てで失敗してはだめだという強迫観念も強かった。

私は仕事でも子育てでも失敗することへの恐怖が非常に強かった。
だから反動で頑張れたが、海外勤務と生活で、もう心が持たなくなってきた。

前のようには動けない自分に戸惑い、たくさん本を読んだ。
集中力が欠如してしまうことが多くなってきた。

精神修行もしようと考えた。
瞑想、座禅、滝行色々あるが、妻と一緒にヨガをはじめることにした。

いよいようつ病になるカウントダウンが始まる

仕事の責任とストレスも相当なものだったし、直接的な原因はそれだったけれど、子供を支えることができるのは自分しかいなかった。
妻は人に頼るタイプだったし、仕事を結婚してすぐやめた。

頼られると頑張るのが昔からの私の悪い癖だが、無意識で負担に感じてしまっていたと思う。
女性にも自立したタイプと男の世話になることしか考えないタイプがいるが、妻は後者だ。

それこそ私と結婚したのも、頼れる存在だったから(買いかぶりすぎだが、そう演じていた私の責任でもある)
実際私はそんなに強い人間じゃなかった。
柔軟性がないからポキっと折れやすかった。

至るところにうつ病になるべき種は蒔かれていた

家庭生活においても、うつ病になる種は蒔かれていたんだな思います。
ただ家庭生活だけではこうはならなかった。
たくさんの要因が重なってうつ病になったことは強調しておきます。

妻は割合おおらかな性質だったが、あることに対してはすごく神経質だった。
大らかさに惹かれていたこともあったけれど、のちの海外生活ではその大らかさはどんどん消えてしまった。

海外生活は妻も不慣れだし、国が変わるごとに、環境の激変に戸惑っていた。
私もそうだった。

それでも環境が変わることで、うつ病になる要因と向き合う時間がないため、まだ発症しなかった。
一番じっくり腰を落ち着けたアメリカでの生活で、完全にうつ病(アメリカでいう大うつ病 Major Depression)になってしまった。
あこがれの海外生活が決定打となってしまった。

子供も環境変化について行けず、妻もその問題で心労を抱えてしまった。
家族みんなが傷つき苦しむ生活が始まってしまった。

海外うつ病回復体験記 うつ病がなった原因と生い立ちと親の影響

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私は数ヶ国で働いてきましたが、よく見ると、心を病んだり、うつ病になっている人はたくさんいました。

日本でももちろん大勢いました。

先進国であるならば、国ごとに症状の種類の差はあれど、神経症にかかっている数はあんまり変わらないと思います。

日本人は神経質で悲観主義にすぐ走るといわれますが、アメリカだって似たようなものです。

ただ空気として、楽天的(ノーテンキ)なことを口に出しにくいのは日本にありますが。

それに神経質と悲観主義なくして、科学技術や文化芸術の発展は見込めないと思います。

過度の神経質と悲観主義がいけないのは確かですが。

ラテン系の国には行っていないので、そちらは今後の研究課題ですね。

 

私自身にっちもさっちもいかなかったので、冷静には見られませんが、先進国に共通する問題だと思います(特にうつ病は)。

今現在も、うつ病での休職が増えているし、自殺者も増えているのは怖いことだと思います。

私もその一人だったわけですが、運良く(必然?)うつ病から回復できました。

ここでは主に一番長く過ごした、そしてうつ病になってしまったアメリカの鬱病事情を書いていきたいと思います。

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アメリカ人は悩みそうにない国民性を持っていそうですが、実際はすごく病んでいます。

ただし日本とはちょっと質が違っていて、日本は「対人恐怖・社会不安障害」系が多いのに対して、アメリカはそういうものはあんまりありません。

自己主張する国民性だからです。それが美徳でもありますし、私も最初は戸惑いました。

対人恐怖は東アジア的な悩みかもしれません。

 

日本も最近そうですが、アメリカでは特に鬱病が非常に多い統計結果があります。

四人に一人が鬱病(軽いのも含めてだろう)を経験しているとか、1800万人が鬱病だとか2000万人異常だとかとにかく多い数です。

潜在的人数を入れればもっと多くなるそうです。

私がアメリカ生活で完全に鬱病になったのですが(もともと気分の波は日本からあった)、アメリカでの鬱病で仕事を辞めたり、入院したり、薬を飲んで仕事をしていた人が結構いました。

薬と一生つきあう覚悟の人、低く安定して仕事を続ける(それも不本意で)ことで折り合いをつけている者、一時的に回復し仕事復帰し、また再発し、療養し、復帰し……を繰り返している者

まあ、そのときは私は周りのことなんかほとんど関心が湧かなかったわけですが、いくらでもごろごろしているという印象でした。日本でも注意深く見れば、仕事を休む人は何か事情を抱えています。

表面的に普通を装っているけれど、実は・・・なんてことはざらにあります。

2020年には心臓病についで2番目に健康を脅かすものになるとの予測が、この鬱病にあります。

薬大国・薬先進国だけあって、鬱病に対しての薬も日本で認可されていないものを含め、たくさんあります。

(逆にアメリカで禁止されている抗うつ薬が日本で認可適用されているケースもあります)

医者もばんばん薬を処方するし、一歩間違えれば怖いことだと思います。

副作用は以前に比べてないというのが口癖でした。

たしかに昔の抗うつ剤に比べるとマシかもしれないが、その言い方はフェアではありません。

「昔に比べると減っているが、それでも副作用があるから気をつけて飲んで」というべきです。

服用する側も、抗うつ剤を飲むにしてもちゃんと医者と意思の疎通を持っておいた方がいいです。

五分診療ではそれが不可能に近いので、面倒でも医者をいろいろと変えましょう。

ストレス社会の結果として、先進国では鬱病が急速に増えているんでしょうね。

中国でも爆発的に増えると思います。

インドはどうでしょうか?

あまりに世の中のスピードと変化が早すぎて、その負荷が先進国の人間の心にかかっているんでしょうね。

鬱病になりやすいタイプは昔からいたと思うけれど、世の中がこういう風になると、どんどん量産されるんでしょう。

アメリカで最も処方される薬は、高血圧治療薬や鎮痛剤ではなく、なんと抗うつ剤です。

その量は20年間の三倍に増えています。

鬱病による経済コストも非常に多く、様々な悪影響を与えています(年間440億ドルの損失)。

多くの企業が鬱病によって不利益を被っているのに、儲かっているのは、医者と薬剤会社だけというのも、ちゃんと資本主義が機能している証拠です(かなり皮肉)

日本よりは、企業の精神的なサポートに進んでいると思いますが、大うつ病(Major Depression)には効果がないのが現状だそうで、結局抗うつ剤を投与することになっています。

これからは初期段階での早期解決が叫ばれています。

アメリカは、薬漬けのうつ病患者の数は、日本の比ではないでしょう(日本もこれからやばくなりそう)。

薬の効能と怖さをよく知っている身としては、うまく折り合いがつけばいいんでしょうが、全世界で抗うつ剤の治療が合わず、廃人同様の人が増えると怖い気がします。

なお抗うつ薬を飲んででもずっと定年まで会社で働けることを主眼としている人なら、抗うつ剤治療は一つの最善策だと私は思っています。

よく知られるように、アメリカには日本の健康保険制度はなく、あくまで自己責任です。

大企業ならともかく、中小企業に勤めている人でうつ病の治療をするとなると、非常に経済的負担を被ります。

その点では、保険で治療ができる(民間療法はのぞく)日本の方が安心でしょう。

ただ保険がきくといっても、薬が安くもらえるというだけのことですが。

日本は国民皆保険制度がしっかりできているので、幸せだと思いましょう。

精神的な問題で治療することに対しての抵抗感は、アメリカの方が日本よりマシだとはいえ、やはり根強いみたいです。精神分析を受ける人が多いのですが、これは教会での懺悔の文化があるからだという人もいます。

それにしても、精神医療への偏見が多いのは意外に思いました。

企業では精神的トラブル予防のためにカウンセラーがほとんどのところでついていますが、利用していないんですね。

私は海外生活についての相談はしたことがありますが、ストレスやノイローゼ状態のことは話しませんでした。

どうしてもガードしてしまいました。

最後にWHOでは、これまでの悪名高い病気とともに世界的疾病にうつ病が近々なるとのこと。

由々しきことですね。

これからどんどんうつ病に対しての理解が進むことを望みます。

偏見もあり、やっぱり怠け、甘えと同じ要素です。

それもなくなることを祈ります。

 

鬱病になったら、アメリカでも日本でもドイツでもどこでもそうですが、社会復帰の問題、薬を服用しながらの仕事でのたくさんのミスの問題、薬漬けの問題がついて回ります。

理解力、洞察力など個人の能力評価が低下するのも、自己評価を不当に下げてしまう原因です。

うつ病に陥る環境とストレス、うつ病治療の経済的問題、うつ病とそれに関連する経済的損失と人的損失の問題、マクロ的に見るといくらでも鬱病の問題は広がっていきます。

 

どうか全人類がサプリメントのように薬を飲んでやっと仕事ができるような社会にならないことを祈ります。

私は薬を飲まないで民間の心理療法で回復することができました。

私が受けた心理セラピーをアメリカの人も受ければいいのにと思う今日この頃です。

かなりはまると思うし、アメリカ人なら特に評価が高いと思う。

アメリカにはあやしげなところをのぞくと、ほとんどが病院での薬物療法しか道がないのですから。

うつ病治療も、認知行動療法があるように、どんどん選択肢が増えていけばいいと思います。

日本の方がまだたくさんの心理療法があると思うし、精神世界に対しての取り組みは昔から秀でていると思う(心理学ではなくて)

薬だけに頼るアメリカの方法は、私は一歩引いてみています。

どうせ抗うつ剤に頼るなら、心が通じ合うすばらしい精神科医にかかることをオススメします。

うつ病はまずかからないようにするシステムが機能してはじめて、うつ病対策がうまくいくと思います。

しかし、うつ病にかかってしまった人へのサポートは、アメリカでも日本でもまだ十分ではないようです。

アメリカ、ドイツでうつ病になった筆者がうつ病をどう回復できたのか、その体験記を書いています

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